【発達障害】外ではいい子なのに家で癇癪…子どもが「本当に伝えたいこと」と親ができること 

【発達障害】外ではいい子なのに家で癇癪…子どもが「本当に伝えたいこと」と親ができること 親の皆様へ
【発達障害】外ではいい子なのに家で癇癪…子どもが「本当に伝えたいこと」と親ができること

「学校(保育園)では何も問題ありません」と言われるのに、家に帰ると癇癪。

「外ではあんなにいい子なのに、どうして家ではこんなに大変なの?」

「私の育て方が悪いのかな?」

そんなふうに悩んでいませんか。

発達障害のある子どもが、外では頑張って過ごし、家では強く感情を出すことがあります。

「学校では問題ありません」と言われると、家での困りごとを周囲に相談しても、「家ではそうなんですね」と受け止めてもらえないように感じることがあります。

その結果、親だけが「この子は大変なんだ」と抱え込んでしまうこともあるでしょう。

「外ではいい子なのに家では癇癪」という特徴だけで、発達障害があると判断することはできません。

子どもの気質や環境、疲労、感覚の特性、人間関係など、さまざまな背景が考えられます。

ただ、家での癇癪が頻繁に起こり、本人や家族の生活に大きな負担となっているのであれば、「なぜ家でだけこんなに大変なのか」を一緒に考えていくことは重要です。

この記事では、その背景にある可能性を整理しながら、子どもの内側を理解するためのヒントと、親が一人で抱え込まないための考え方を紹介します。

  1. 外ではいい子なのに、家では癇癪…なぜ?
    1. 外では頑張っている反動で、家で感情が出ていることがある
    2. 家が安心できる場所だから、感情を出しやすいことも
    3. 「安心できる場所だから」で片づけていいわけではありません
  2. 家で癇癪を起こす子どもの「内側」で起きていること
    1. 言いたいことをうまく言葉にできない
    2. 刺激や人間関係で疲れている
    3. 自分でも感情を整理できないことがある
    4. 「困っている」のに「困っている」と伝えられないことがある
    5. 「外ではいい子」と言われると、親は困りごとを相談しづらくなる 
  3. 私が「子どもの内側」を知ろうとして気づいたこと
    1. 「自分のつらさ」から、いったん視点を外してみる 
    2. 「こんなふうにつらいんだ」と分かると、対応が変わることもある
  4. 家での癇癪に「親の対応だけでは足りない」こともあります
    1. 家庭でできる工夫を続けても、困りごとが残ることはある
    2. 子どもが「助けて」と言えるようになったわが家の取り組み
  5. それでも癇癪が続くなら、支援や医療につなげてもいい
    1. 療育や家庭での関わりだけで解決しないこともある
    2. わが家では「投薬」という選択肢につながった
  6. 「外ではいい子」なのは、子どもが頑張っている証かもしれません
  7. 子どもを理解することと、親が我慢することは別です
  8. 家での癇癪に悩んだとき、今日からできること
    1. 子どもの「困った行動」ではなく「困っていること」を考えてみる
    2. 癇癪が起きる前後に何があったかメモする
    3. 子どもに「どうして?」と聞くより、気持ちを言葉にしてみる
    4. 一人で判断せず、療育・学校・医療などに共有する
  9. まとめ|外ではいい子、家では癇癪…それだけで親の育て方が悪いわけではありません

外ではいい子なのに、家では癇癪…なぜ?

外ではいい子なのに、家では癇癪…なぜ?

「外ではいい子」と言われる子が家では癇癪を起こす。

そこにはいくつか理由が考えられますが、共通しているのは「家だからこそ」ということです。

外では頑張っている反動で、家で感情が出ていることがある

発達障害のある子どもの中には、園や学校という「頑張らなければいけない場所」で、かなりのエネルギーを使って過ごしている子がいます。

周りに合わせる、指示を聞く、感情を抑える。

それを一日中続けたあと、安心できる家に帰ってきた瞬間に、張りつめていたものがゆるむ。

これが、外ではいい子、家では癇癪という状態の背景としてよく語られる説明です。

家が安心できる場所だから、感情を出しやすいことも

「家でしか荒れないのは、家が安心できる場所だから」という見方もよくされます。

子どもにとって、素の自分を出せる相手が親しかいない、ということでもあるのです。

「ママ(パパ)なら受け入れてくれるかも」という安心感が強いことが伺えます。

そう考えると、家での癇癪は、悪いことと言い切れないのかもしれません。

「安心できる場所だから」で片づけていいわけではありません

ただ、ここで立ち止まりたいことがあります。

子どもが安心して感情を出せることと、親がそれをすべて受け止め続けなければならないことは、本来別の話です。

「安心できるから荒れるんです、それは良いことなんです」と言われても、実際に毎日その感情の受け皿になっている親は、疲れ果ててしまうことがあります。

子どもの気持ちを理解することと、親が我慢し続けることを、同じものとして扱わないでほしい。

ここが、この記事で一番伝えたいことの土台になります。

家で癇癪を起こす子どもの「内側」で起きていること

家で癇癪を起こす子どもの「内側」で起きていること

「外で頑張っている」と言っても、具体的に何にそんなに力を使っているのでしょうか。

もう少し内側を見てみます。

言いたいことをうまく言葉にできない

伝えたいことはあるのに、うまく言葉にできない。

もどかしさが積み重なって、最後は言葉より先に感情があふれてしまう。

そんな子どももいます。

刺激や人間関係で疲れている

音、光、人の多さ、予定の変化。

感覚の敏感さや対人関係の疲れは、本人も気づかないうちに蓄積していきます。

外では平気そうに見えても、内側ではかなりの負荷がかかっていることがあります。

特に、子どもは自分への負荷を自覚しないままに受け取り続けることがあるため、「気づいたら限界まで疲れていた」ということが起こり得るのです。

自分でも感情を整理できないことがある

「なぜイライラしているのか」「何が嫌だったのか」を、子ども自身がまだうまく整理できていないこともあります。

大人はそれまでの経験から、自分がどんなことにイライラしやすいのか、どんなことが嫌なのか推し量ることができますが、子どもはその部分がまだ学習中の状態です。

疲労やイライラ感といった感情があるとき、それはより難しくなります。

大人でも難しいことを、子どもに求めすぎているのかもしれません。

「困っている」のに「困っている」と伝えられないことがある

子どもは「困っている」のに、それを「困っている」という形で伝えられず、癇癪という形でしか表現できないことがあります。

困った行動、ではなく、困っていることの表れ。

「何に困っているのかわからない」「そもそも自分は今困っているのかどうかもわからない」という状態になることもあります。

見方を変えるだけで、少し景色が変わることがあります。

「外ではいい子」と言われると、親は困りごとを相談しづらくなる 

家でどれだけ大変なことが起きていても、学校や園では「問題ありません」と言われる。

もちろん、先生から見た子どもの姿も、その子の大切な一面です。

でも、家庭で起きていることもまた、その子の一面です。

私自身、学校では大きな問題がないと言われる一方で、家では癇癪や困りごとがあり、「これは本当に支援が必要な状態なのだろうか」と悩んだ時期がありました。

親だけが「この子は困っている」と感じているような状態は、とても孤独です。

そして、支援を利用するかどうかを考えるときも、「私の考えすぎなのでは」と迷ってしまいます。

私が「子どもの内側」を知ろうとして気づいたこと

私が「子どもの内側」を知ろうとして気づいたこと

家で癇癪になってしまって大変、外ではいい子なので理解されない、という状況は親としては非常に辛い状況です。

子どもが「困っているんだ」と思うことで気づいたことを、ご紹介します。

「自分のつらさ」から、いったん視点を外してみる 

私自身、自分のメンタルが限界に近づいていたときは、「どうしてこんなに大変なんだろう」という自分側のつらさにしか目が向いていませんでした。

目の前で子どもが荒れていても、頭の中は「もう無理」でいっぱい。

そんなとき、私は一度だけ視点を変えてみました。

「この子は今、何に困っているんだろう?」

自分のつらさをなくそうとしたわけではありません。

「私がつらい」という気持ちをいったん横に置いて、目の前で起きていることを少し離れたところから見てみたのです。

無理なのは「私」であり、「子ども」の困りごとは別にある。

すると、「困ったことをしている子ども」ではなく、「何かに困っている子ども」という見方ができるようになりました。

看護の現場でも、目の前の出来事に感情的に巻き込まれてしまうと、状況を整理することが難しくなることがあります。

いったん視点を変えて、「今、この人に何が起きているのか」と考えることで、見えてくるものがあります。

育児でも、それに似たことがあるのかもしれないと、私は感じました。

このように、自分の感情から少し距離を取り、別の視点から出来事を捉え直す方法は、心理学では「セルフ・ディスタンシング(self-distancing)」などと呼ばれ、感情を調整する方法の一つとして研究されています。

私がしていたことも、振り返ってみれば、これに近いものだったのかもしれません。

もちろん、これですべてのつらさがなくなるわけではありません。

ただ、「もう無理」と感情に飲み込まれているとき、一度だけ「この子には今、何が起きているんだろう?」と視点を変えてみる。

それが、私にとっては状況を少し整理するきっかけになりました。

参考:感情調整におけるディスタンシングに関する研究レビュー(PMC)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6326885/

「こんなふうにつらいんだ」と分かると、対応が変わることもある

子どもの内側で起きていることを想像できると、対応の仕方も少し変わりました。

共感する。気持ちを言葉にしてあげる。

「困っているんだね」と、まずは受け止める。

ただ、誤解してほしくないのが、「理解すれば癇癪がなくなる」わけではありません。

うちも、理解したからといって癇癪そのものがなくなったわけではないです。

それでも、親子の間で何が起きているのかが、少しだけ分かるようになる。

それだけでも、日々の手応えとしては大きいものでした。

家での癇癪に「親の対応だけでは足りない」こともあります

家での癇癪に「親の対応だけでは足りない」こともあります

我が家では諦めず子どもと向き合い、さまざまなことを調べたり実行したり、工夫を重ねてきました。

それでも、「癇癪がなくなる」わけではありませんでした。

ただ、工夫して来たからこそ、気づけたことも多くありました。

家庭でできる工夫を続けても、困りごとが残ることはある

家庭での関わり方を工夫しても、それだけで困りごとがすべて解決するとは限りません。

たとえば子どもの要求が「理解してほしい」だった場合、共感することで少し癇癪が和らぐことはあるかもしれませんが、もっと複雑な要求だった場合、必ずしもかなえてあげられるとは限りません。

別な人間なので100%理解してあげることもできません。

困りごとが残ることはあると理解しておくだけでも、気持ちが楽になることもあります。

「もっと頑張らなきゃ」「もっと勉強しなきゃ」と、親が自分を追い詰める方向に行かなくていいのです。

子どもが「助けて」と言えるようになったわが家の取り組み

わが家で試してみたのは、「わからない、と言っていい」というルールでした。

うまく言葉にできないときは、気持ちを色で表してもいい。

困ったときにうまく言えなくてもいい。

うまく言えなくて良いから、ほんの少しでもSOSを出してほしいと伝えて、言葉で伝える訓練を重ねました。

そうやって少しずつ関わっていくうちに、「助けて」と言えるようになった場面が増えていきました。

「助けて」まで言えなくても、私自身が子どもの言葉選びからなんとなくSOSを察することができる場面も増えたように思います。

これは「うちではこうしたから、あなたもこうしてください」という話ではありません。

困りごとを言葉にする方法を、子どもと一緒に探してみる。

そういう選択肢もあります、という形で受け取ってもらえたらと思います。

それでも癇癪が続くなら、支援や医療につなげてもいい

それでも癇癪が続くなら、支援や医療につなげてもいい

子どもがSOSを出せるようになり、私自身も受け止めやすくなり、それでも癇癪自体はなくなりませんでした。

利用できる支援や医療などにつなげるのも、ひとつの方法です。

療育や家庭での関わりだけで解決しないこともある

療育に通っていても、家庭での関わりを工夫していても、それだけでは癇癪が落ち着かないことがあります。

それは、やり方が間違っているということではなく、子どもの困りごとの背景がもっと複雑である、というだけのことも多いです。

わが家では「投薬」という選択肢につながった

わが家の場合、その先で「投薬」という選択肢につながりました。

これは、「薬を使うことに逃げた」のではなく、子どもが「助けて」と言えるようになったからこそ選べた選択でした。

言葉で自分の状況を話してくれたからこそ、主治医と相談しながら、子どもの状態に合わせて医療につなげることができました。

ただ、「投薬すれば癇癪が改善する」という単純な話ではありません。

子どもの困りごとを理解していく過程で、必要な支援のひとつとして医療につながった、という位置づけです。

支援は、ひとつだけではありません。

療育、学校との連携、医療。

どれかひとつが正解というより、いくつかの選択肢を組み合わせながら、その子に合う形を探していくものだと感じています。

「外ではいい子」なのは、子どもが頑張っている証かもしれません

「外ではいい子」なのは、子どもが頑張っている証かもしれません

外で場に合わせて振る舞えることは、その子がちゃんと持っている力のひとつです。

それ自体は、否定するようなことではありません。

ただ、「外でできているんだから、家でも同じようにできるはず」と考える必要はありません。

外で頑張れているからこそ、家で力が抜けている、ということもあります。

そしてこれは、「外でいい子=親の育て方が正しい」という話でもありません。

逆に「家で癇癪=育て方が間違っている」という話でもない。

そこに罪悪感を結びつけなくて大丈夫です。

子どもを理解することと、親が我慢することは別です

子どもを理解することと、親が我慢することは別です

子どもの内側を理解できるようになっても、目の前で毎日癇癪を受け止めている親のつらさが消えるわけではありません。

「この子も頑張っているんだ、つらいんだ」と分かることと、「だから私が我慢すればいい」ということは、別の話です。

「もうやめたい」「限界かもしれない」と感じているなら、そのサインを無視しないでください。

子どもを理解しようとする一方で、親自身が休むことも、同じくらい必要なことです。

もしそう感じているなら、[「発達障害の育児でノイローゼかも…」と感じたときの記事]も、あわせて読んでみてください。

そしてぜひ、「限界」を感じる前に、冷静に支援の選択肢を考えてみてください。

家での癇癪に悩んだとき、今日からできること

家での癇癪に悩んだとき、今日からできること

子どもの癇癪に付き合うのは精神的にも身体的にも相当辛く疲労がたまります。

まずは、簡単に「考え方を変える」ところから、できることがあります。

子どもの「困った行動」ではなく「困っていること」を考えてみる

癇癪が起きたとき、「また困ったことをしている」ではなく、「この子は今、何に困っているんだろう」と考えてみる。

それだけで見え方が変わることがあります。

視線を「もう限界だ」と感じる自分から「この子はどうしたいんだろう」というように「子ども」へと視点を変換させられるのです。

そうすることで、目の前で起きている状況を、少し距離を置いて見られることがあります。

癇癪が起きる前後に何があったかメモする

いつ、どんな状況で癇癪が起きたか。

簡単でいいので記録してみると、パターンが見えてくることがあります。

療育や学校、医療機関と共有するときにも役立ちます。

子どもに「どうして?」と聞くより、気持ちを言葉にしてみる

「どうしてそんなことするの?」と問い詰めるより、「イライラしたんだね」「うまく言えなくて悔しかったんだね」と、気持ちを代わりに言葉にしてあげる。

子ども自身が、自分の感情に気づくきっかけになることがあります。

癇癪が起きている時には耳に入らないかもしれませんが、「親が見放さずそばにいてくれる」と思うだけで子どもはより安心感を感じ、ゆっくりと言葉で伝えることができるようになってくるかもしれません。

一人で判断せず、療育・学校・医療などに共有する

家での様子を、親だけで抱え込んで判断しなくていいんです。

療育の先生、学校、医療機関。

いろいろな立場の人と共有することで、見えてくるものが変わってきます。

親だけが評価者にならなくていい。

それも、忘れないでいてほしいことです。

まとめ|外ではいい子、家では癇癪…それだけで親の育て方が悪いわけではありません

まとめ|外ではいい子、家では癇癪…それだけで親の育て方が悪いわけではありません

「外ではいい子、家で癇癪」という子の原因と、向き合い方をまとめました。

  • 外で頑張っている反動で、家で感情が出ることがある
  • 家で感情を出せることと、親がすべて耐えることは別
  • 子どもの内側を知ることで、困りごとの見え方が変わることがある
  • 家庭での工夫だけでなく、療育・医療・福祉などを頼っていい
  • 親自身が「もう無理」と感じたときも、それは無視してはいけないサイン

「この子も頑張っているんだ」と思うことと、「私もしんどい」と認めることは、両立します。

「自分が辛い」ということを否定しなくても大丈夫。

「愛情が足りないんじゃないか」

「なんでこんなに困ったことばかりするんだろう」

なんて考え方も、もしかしたら親であるあなた自身が疲れているサインかもしれません。

無理をする前に、支援や医療を頼って相談していくことで、解決することもあるかもしれません。

まずは今日、癇癪が起きたときに一度だけ、「この子は今、何に困っているんだろう?」と考えてみてください。

そして同じくらい、「私は今、どれくらいしんどいんだろう?」という自分の状態も確認してみてください。

子どもを見ることと、自分を守ること。
その両方があっていいのです。

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